MBAによる経営者研修の源流

いまやMBAは世界中で教育が提供されていますが、その源流はプロイセン(旧ドイツ)の官僚養成学校にあると言われています。そこでは、ケーススタディやフィールドスタディも採り入れた実践的な教育がなされていたとのこと。ちなみに、「管理原則の父」と呼ばれるアンリ・ファヨール氏はフランス出身ですから、MBA教育の源流は西ヨーロッパにあると言ってもよいのかもしれません。

このプロイセンの官僚養成学校にインスピレーションを受けたのが、アメリカの実業家ジョセフ・ウォートン氏です。1881年、彼はが米国ペンシルベニア大学にお金を寄付し、学部レベルのビジネス教育プログラムを設立せしめたのがアメリカにおける体系だったビジネス教育の始まりと言われています。

一方、これはまだ学部レベル。修士課程のビジネス教育は1900年にダートマス大学において始められたとされます。その後、1908年にはハーバード大学において、始めて「経営学修士(MBA)」という名前が冠されたプログラムが成立しました。

軽々者研修のケーススタディ

MBAの教授法において中心的役割を占めるケーススタディの発祥についても見てみましょう。面白いのは、今やケーススタディのメッカとも言うべきハーバード・ビジネススクールにおいても、実はケーススタディは「傍流」とされていたとのことです。当時の教授陣は従来型の講義式の教育を好んでいたのがその理由です。ところが、ビジネスポリシーという科目でケーススタディが採り入れられるや、その授業法は学生に受け入れられます。結果として、1920年代半ばには、ほぼすべてのコースでケーススタディが採用されるに至ったとのこと。

もっとも、ケーススタディに対する反論がないわけではありません。上述のウォートン氏は、ケースという経験主義よりも理論を重視する立場で、結果としてペンシルベニア大学ウォートン校も理論を重視した教授法が主にとられているとのことです。

1950年代後半のMBAへの批判

このように始まったMBAですが、1950年代後半には批判にさらされます。具体的には、カーネギー財団によって執筆された「ピアソン報告」と、フォード財団による「ゴードン=ハウエル報告」です。実は米国においては、このように時代時代に合わせて問題点を指摘した報告書が世を騒がせるという伝統があります。近年で言えば、1980年代の米国の産業競争力を高める提言の「ヤング報告書」などが有名です。

1950年代のMBAの批判は、一言でいうと「よりアカデミックな(学問的な)研究成果を重視せよ」と言うことになります。具体的には、数学や統計学なども採り入れることが提言されました。これを採り入れて、MBAのカリキュラムにも改革が加えられ、より産業界のニーズに対応する内容になっていったのです。このような、建設的な批判と、それに対応する変革が米国MBAのダイナミズムと言えるでしょう。

この記事を書いた人

MBAの三冠王木田知廣

木田知廣

MBAで学び、MBAを創り、MBAで教えることから「MBAの三冠王」を自称するビジネス教育のプロフェッショナル。自身の教育手法を広めるべく、講師養成を手がけ、ビジネスだけでなくアロマ、手芸など様々な分野で講師を輩出する。

ブログには書けない「ぶっちゃけの話」はメールマガジンで配信中