1週間ほど過ぎてしまったが、3月3日はモモの節句ならぬ、ビジネススクール時代の恩師スマントラ・ゴシャールの命日。

早いもので、亡くなってからもう6年。もし生きていれば、どんな業績を残したろうか、かなり興味ある。たとえば、ソニーのケースを書く時には同行させてもらったり(遺作、意志力革命には名前もクレジットされてるはず)、日本企業にも大いに興味を持ってたはずで、今の日本の状況を見たら、はたしてなんて言うだろう。

今にして思えば、なんだけど、ポジティブ&巨視的な視点を持った人だったから、一概に否定はしないはず。たぶん。

 「日本企業はすっかり内向きになっちゃてますよね?」

なんて言おうものなら、

 「いや、Tomo、そうは言うけど、日本企業で強いところもいっぱいあるぞ。
  そもそもが、超長期高齢化社会に対応するためのtransformationの過程と
  言えないだろうか」

なんて、日本人以上に楽観的な答えが返ってきそう。

ロンドン・ビジネススクールの彼の部屋で交わした会話が、よみがえってきますね。懐かし。

でも、ふと自分を振り返るに、彼の死から6年たっても(卒業からカウントすると9年だよ!)、彼がビジョンしてたようなTransnationalにもtransculturalにも働けてないわけで、これは自分でもちょっと残念。弟子を名乗る資格はないですね…と思ったけど、そうでもないかな。

「多国間」はともかくとして、「多文化間の架け橋になる」は、意外と実践できているかもしれないぞ。

ってのは、わが社の名前、「シンメトリー・ジャパン」に込められた想いは、情報の非対称性と言うんだけど、情報格差を解消する、つまり、アシンメトリーをシンメトリーにするという想い。

これって意外と、transculturalかもしれない(ってか、むしろ知識格差-transknowledgeか)。

表層的なことよりも、根本的な、ビジネスとしての根元的なミッションにこそ、影響を受けてる。これをもって、弟子の末席に加えさせてもらうことにしよう。

この記事を書いた人

MBAの三冠王木田知廣

木田知廣

MBAで学び、MBAを創り、MBAで教えることから「MBAの三冠王」を自称するビジネス教育のプロフェッショナル。自身の教育手法を広めるべく、講師養成を手がけ、ビジネスだけでなくアロマ、手芸など様々な分野で講師を輩出する。

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