本日のランチは長崎チャンポン…というのはどうでも良くて、そこでの会話で大きな気づきがありました。再現すると、
うちのスタッフのMさん:「今度の勉強会の先生って、哲学じゃないですか?
なのにテーマは経済なんですよねぇ?」
私: 「えーっと…。それはだなぁ…『超マクロ展望 世界経済の真実』を
読めば分かる!」
という感じ。「読めば分かる」って、自分の言葉で説明できないのは講師失格ですな(笑)。
たしかに、哲学がご専門の萱野先生がなぜ経済っぽい話を?というのは、同書を読んでないと分かりませんよね、ということで、下記、私なりのまとめをします。
哲学というのは、突き詰めれば「自分はどう生きるべきか?」を問う学問であると私は認識しています。
ただ、フランス革命以降の世界においては、「自分」が素の「自分」として存在することはあり得なくて、「国家」という環境<ファクター>を除外した「自分はどう生きるべきか?」という問は意味がないでしょう。
この前提に立ち、萱野先生は、哲学の中でも「国家と自分」をどう捉えるかを研究の中心のテーマにされているのではないでしょうか。それはひょっとしたら、パリで学んだことと深い関係があるかもしれないし、あるいはもっと原初的な記憶~生い立ちとかとの関わりがあるのかもしれません。
→ちなみに、これ、勉強会で質問したいこと。哲学者でも哲学の研究者でもいいんだけど、生き方として哲学に関わる人は、なぜそういう道を選ぶのでしょう?
このような萱野先生のスタンスは、「超展望…」よりも、「暴力はいけないことだと誰もがいうけれど (14歳の世渡り術)」の方がすっきりと腹おち感がありますね(14歳向けだから分かりやすい?)
翻って経済。「超展望…」の共著者である水野さんは、今の時代を「ちょうど中世封建制から近代資本制が誕生した時と同じような、大きな時代の転換点にある」と考えていて、そうするとたんに経済を経済として捉えるのではなく、社会・政治・国家…など、要するにありとあらゆるモノが変わっていくと見ているのでしょう。
結果として、「超展望…」は、他の対談本とは違って、スタンスが違う二人の碩学がかみあった議論をするという幸せな結合であり、本書で示された視点を哲学の立場で語っていただこう、というのが今度の勉強会の趣旨です。
ということですが、伝わりましたでしょうか?Mさん?
もし分かりにくければ、オフィスにある「超展望…」を読んでください(笑)。
あ、そうだ。勉強会参加者には、萱野先生のご著書を抽選で1名様にプレゼント。ミーハーだけど、サインお願いしてみようかなー。
この記事を書いた人
木田知廣
MBAで学び、MBAを創り、MBAで教えることから「MBAの三冠王」を自称するビジネス教育のプロフェッショナル。自身の教育手法を広めるべく、講師養成を手がけ、ビジネスだけでなくアロマ、手芸など様々な分野で講師を輩出する。
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