お賽銭がキャッシュレス
最近、神社でお賽銭がPayPay払いできるって知ってました?
確かに、現金を持ち歩かなくてもお参りできるのは便利だし、お賽銭泥棒のリスクも減る。これはこれで合理的な進化なのかもしれません。
…でも、私はPayPay払いはしませんけどね。
お賽銭は「払う」行為ではなく「捧げる」行為
キャッシュレス決済はスマートでスピーディーですが、お賽銭ってただのお金のやり取りではないと思うんです。
「命の次に大切なお金を、対価を求めることなく捧げる」
この行為自体が、ある種の覚悟や誓いにつながる。だからこそ、「喜捨(きしゃ)」という言葉があるのでしょう。
「財の転移」という観点では実物貨幣でもPayPayでも同じワケですが、PayPayでピッと済ませると、喜捨の感覚が薄れてしまうと懸念します。
私が毎晩、お賽銭を捧げる理由
私が日々お参りしている「蛸薬師」には、ちゃんとお賽銭箱があります。
夜、1日の終わりに「手を合わせ、誓いのマントラを唱える」という行為が、自分の気持ちを整えるきっかけになっています。
便利さを追求するのも大事。でも、こういうアナログな行為こそが、人の心を支えているのだと思います。
この記事を書いた人

木田知廣
MBAで学び、MBAを創り、MBAで教えることから「MBAの三冠王」を自称するビジネス教育のプロフェッショナル。自身の教育手法を広めるべく、講師養成を手がけ、ビジネスだけでなくアロマ、手芸など様々な分野で講師を輩出する。
ブログには書けない「ぶっちゃけの話」はメールマガジンで配信中。
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