経営学の大家、故スマントラ・ゴシャール教授。日本人として親しく同教授から指導を受けたのが、シンメトリー・ジャパン代表の木田知廣です。3月3日のごシャール教授の命日にちなみ、その思い出を振り返ります。

経営学会のビッグネーム、スマントラ・ゴシャール先生

まず、スマントラ・ゴシャール先生のこと。経営学の中ではビッグネームです。ここにご著書も持ってきていますが、この分厚さ。サインも貰っちゃいました。ミーハーですけどね。日本語でも、「意志力革命 目的達成への行動プログラム」、「地球市場時代の企業戦略―トランスナショナル・マネジメントの構築」、「個を活かす企業―自己変革を続ける組織の条件」など。

ここで、ウィキペディアに載っている経歴を読んでみます。インド石油にて勤務後、1981年にフルブライト奨学金とハンフリー奨学金を得てアメリカ合衆国に留学。マサチューセッツ工科大学経営大学院から1983年に理学修士と1985年に博士号取得。ハーバード・ビジネススクールからも経営学博士を1986年に授与された。これらの課程を同時に修了し、2つの別個のテーマで2つの論文を執筆した。1985年にフランスのINSEADで研究を始め、学会に大きな影響を与えた論文や著作の多くを執筆した。1994年にはロンドン・ビジネス・スクールに移る。

こんなご経歴の方なので、スマントラ先生と会話をしていると、有名な先生の名前がサラッと出てくるんです。「あぁ、ヘンリーはねぇ…」。ヘンリー?誰?と思ったら、ヘンリー・ミンツバーグ先生だった、なんてのがよくあります。当時私は感じました。なるほどな、と。欧米のMBAの教授陣って、そういうふうにつながっているんだな、と思いました。

ソニーのビッグ3に会いにいった

こんな有名な先生ですから、普通は個別に教えを請うなんてなかなかできないんです。他の有名な先生もそう。たとえば、マイケル・ポーター先生。HBSでイベントがあって、そこで見ました。これがまたすごい。キレッキレ。で、隣のHBSの学生に、思わず話しかけたんです。「ポーター先生、すごいね~」。そしたら、その学生が返事をするには、「いや、生の講義を見るのは俺も初めてなんだ」って。

たまたま私が教えを受けられたのは、スマントラ先生が日本企業のケースを書きたいと思ったからなんです。具体的には、ソニー。当時、ソニーは絶好調。VAIOとか発売した当初。「デジタルドリームキッズ」というキャッチフレーズで、DX時代の2週先をいっていました。

で、日本語で情報収集できる人間を探している、ということで、応募して採用された。私ともうひとりの日本人学生です。そして、スマントラ先生に連れられて、ソニーの本社に経営幹部の取材に行くわけですよ。当時はまだ、本社は昔のところ。品川駅から山手線の内側の方にいったところにありました。

そこで、当時のCEOの出井さん、安東さん、そして、その前のCEOである大賀さんに取材をさせていただいたのです。ソニーの経営陣ですよ?トップ3ですよ?でも、スマントラ先生ぐらいのビッグネームになると、そういう事が可能なんだなぁ、とこれもビックリしました。そして、取材や、様々な情報収集をして、それをケースとしてまとめました。

スマントラ・ゴシャール先生の信念

振り返ってみると、スマントラ先生の興味というのは、「大企業の中でいかに個人の力を発揮させるか」にあったと感じます。当時はわからなかったですけどね。おそらく、ご自身が大企業、石油会社で働いていて、そこで満たされない思いがあったんじゃないか、と想像します。

だから、アメリカに留学したんでしょうね。「個人の力を生かしている企業は世の中にないのか」、「なぜそれが可能なのか」を知るために。だから、今でも覚えているけど、ソニーの本社に行ったときに、開口一番にこう言うんです。「Tomo、ソニーの本社って、これが普通なのか?ずいぶん質素だな」って。きっと、欧米企業の中には、本社はキンキラに飾っているところもあるんでしょう。それに比べてソニー、特に昔の本社ビルは、「ザ・オフィス」みたいな感じで、質素というか、いい意味で「働く場所」って感じ。たとえ会社のトップと言えども、飾り付けられた部屋でふんぞり返っているわけじゃない。

おそらく、スマントラ先生にとっては、現場の人とトップマネジメントの間に階層がない、今でいうとフラットな組織がまずはそのオフィスの佇まいから想像されたんでしょうね。ただ、当時の私はそこまで分かっていたわけじゃなかった。サインを貰っちゃうようなミーハーですからね。スマントラ先生、すげぇ。ナマの出井さんに会える!って感じで舞い上がっていました。

でも、卒業するときにやっぱり思ったんです。これからも、教えを受けていきたいな。予感としては、この先一生、教えを受けていくんだろう、と。ところが、2004年。突然メールが来るわけです。LBSから。「スマントラ・ゴシャール先生が亡くなった」と。脳内出血らしいですけどね。

もう、びっくり。え?え?ほんと?みたいな。当時は東京にいて、葬儀に参列できたわけじゃないです。ただ、その後にスマントラ先生を記念して、基金が設立されて、私もそこに一口貢献させていただきました。

で、そのなくなったのが3月3日。なので、毎年この日が来るたびに、私は考えるわけです。自分はスマントラにどのくらい近づけたのかな?って。私もビジネス教育を一生の仕事にしているわけで。

先は長いですけどね、追いつくまでに。でも、そこを目指して頑張っていきたいと思います。

 

前ページ
運がいい人には法則があった~ラッキーな人に共通する4つの行動特性とはを読む
1DayMBAのページに戻る 次ページ
社内政治に絶対負けない法~権力アップの五大源泉とはを読む

この記事を書いた人

MBAの三冠王木田知廣

木田知廣

MBAで学び、MBAを創り、MBAで教えることから「MBAの三冠王」を自称するビジネス教育のプロフェッショナル。自身の教育手法を広めるべく、講師養成を手がけ、ビジネスだけでなくアロマ、手芸など様々な分野で講師を輩出する。

ブログには書けない「ぶっちゃけの話」はメールマガジンで配信中