こないだの日曜日、講師コンテストE-1グランプリが終了しました。飯村久美さん、森田朝美さんがそれぞれグランプリ、準グランプリを獲得され、めでたく終了したのですが…
実は主催者たる私たちにとっても、毎回E-1からは大きな「宿題」をもらっています。
今回とくに気になったのが、「フィードバック」。
というのは、E-1グランプリは単なるイベントじゃないから。
もちろん、その場の「面白かった~」というのもいいのですが、せっかくこれだけの人が集まっているわけで、「講師として教えるスキル」を向上する場としたいんですよね。
なので、会場の聴衆の方々からいただいた出場者向けのフィードバックは、個別に(その人自身の分だけ)出場者の方にお送りしています。
ただ、そのフィードバックを読み返していると、「なんだかな~」と思わせるものがあって…
いや、厳しいコメントはいいんですよ。
聞いている人が感じた、「ここは今イチだ」を伝えてもらうのは、プレゼンをする側にとっては間違いなく参考になります。
自分でも気付かなかった悪い点が浮かびあがったり、もしくは自分では想いもしなかった解釈をされて、「なるほど~、そうとられることもあるんだ~」と、気づきがあるので。
ただ、その際には、大げさに言えば「愛」が欲しいですよね。
単に出来なかったことを指摘するだけでなく、成長への期待を込めて叱咤激励する、という気持ちが。
そこに、単なる「罵倒」と正当な「批判」の差があるんだと思います。
これ、フィードバックのコメントを読んでいると本当に驚くぐらい伝わってきて、愛がある批判であれば、言葉の使い方も違いますからね。これ読んだ本人は、嬉しいだろうな、と思います。
翻って、いまやクライマックスのロンドン五輪。
男子柔道60kg級の平岡拓晃選手が銀メダルをとった直後のインタビューで、「4年前(北京オリンピック)に負けてから、いろんな罵倒を浴びて…」と答えてましたけど、これも同じ感覚かな~、と思いました。
いくら1回戦負けだからといって、本人が一番悔しいに決まっているはずで、それを他人が「罵倒」するなんて考えられないんだけど…
(ふと、「他人」じゃなくて「身内」かもしれないと思ったけど、そんなことはない、よね?)
じゃあ、「批判」は?という好例がこちら。
男子サッカー準決勝のメキシコ戦での扇原選手のプレー(例の、キーパーからのボールをバイタルエリアでかっさらわれたヤツね)に厳しいフィードバックをしています。
でも、そこには成長への期待を込めた叱咤激励、というのがありありだと思うんですよね。
自分自身も、仕事柄人にフィードバックする機会が少なくないので、改めて気持ちを引き締めよう、と思いました。
この記事を書いた人
木田知廣
MBAで学び、MBAを創り、MBAで教えることから「MBAの三冠王」を自称するビジネス教育のプロフェッショナル。自身の教育手法を広めるべく、講師養成を手がけ、ビジネスだけでなくアロマ、手芸など様々な分野で講師を輩出する。
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